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死神の鎌持つ金髪碧眼の男、ルイス・ロズウェルと、
闇に溶け込むようなシルエットで盲目の少年レイヴンが対峙していた。

「そこをどけ、レイヴン。お前の時代はもう終わったのだ」
 ルイスの瞳は憤怒に燃えていたが、その声はあくまでも静かだった。

「……終わろうとしている。だが、まだ終わってはいない」
 対するレイヴンは弱々しく、今にも倒れそうだ。

「特工の例の薬に、その副作用を抑えるための六種類の劇薬……。
能力者の末路は、悲惨だな。お前の内臓は、直視できぬほどボロボロだというのに、
 そこまでして戦う理由がわからない」

「お前のような自分のことしか頭にない能力者を、野放しにしたくないからだ……」

「我が道を歩んで何が悪い!」
 ルイスの声音に怒気が孕んだ。

「だが、もっと分からないものがある。……あのガキだ。
 能力者でもないあのガキを、なぜ選んだのだ、気が狂ったか?」

「直感だ。だが、レイヴンの目に狂いはなかった」

「見えぬくせに、面白いことを言う」
 レイヴンはルイスの言葉を無視して続けた。

「ナンプル・ティディスの樹粉を吸うと、人は気を失う」

「知っている。能力者や、それに類する力を持っていない限りな」

「彼は……、秋螺は目を覚ました」

「……ほう。お前が何か細工したわけではなかったのか」

「そうだ。秋螺は、自分の力で目覚めた。資格は十分にある」

「わかった。もういい。つまりお前は、一年も前から、後継者を俺に選んでおきながら、
 土壇場になってあのガキに一目惚れしたわけだ」

「……」

「答えは、こうなる。貴様に引導を渡し、あのガキを殺せば、俺が新たなレイヴンとなり、
 この世界を掌握できる……だろ?」

「力で世の中は変えられない。お前を選ばなくて、本当に良かったと思う」

「それはお前が変えようとしなかったからだ! 俺は既に実を食った! 
 能力者の寿命尽きたお前に、とやかく言われる筋合いはない!」
 ルイスが大鎌を構えた。レイヴンはコートのポケットから特殊工作科の薬を数錠を噛み砕いた。

「本当に哀れだな! それなしに力を発揮できないとは! すぐに楽にしてやる!」

 ルイスが跳んだ。消えた、と言ったほうがしっくりくるくらいの素早い詰めだった。
 レイヴンはルイスの横なぎの一閃を紙一重でかわし、双剣で応戦した。
 月夜の大樹の舞台で、二人はまるで踊るかのように、命を奪い合った。
 舞台の端から端を、縦横無尽に駆け巡り、二人の周りを白銀の煌きが舞い狂った。
 能力者の攻撃は、光をも凌駕する速度と力を持つ。
 まともに刃が噛み合えば、武器は四散する。
 ゆえに剣戟の音は聞こえず、風を切る鋭い音が、連続となって、唸りにも似た声を上げていた。





「よかった。落ち着いたみたいだね」
 静華の謎の発作が収まって、秋螺は胸をなでおろした。

「ごめんなさい、持病なの……、でもありがとう。本当に助かったわ」
 静華はこの樹に登る前、そして度重なる能力者との戦いの前に特別工作科の強化薬を飲んだ。それが祟って発作を起こしたのだが、秋螺には警察の身分を隠しているため嘘をつくしかない。
 だが、本当に危なかったのだ。秋螺に言った感謝の言葉は嘘ではない。

「でもさ、国崎さん。なんか不思議な感じがしない? 
 このリンゴを食べてから、なんかすごく楽になったんだけど。
 なんか、自分の身体が変わったっていうか……」

「……? そうかしら。
 たしかに今はすごく楽だけど、あまり何かが変わったっていう感じはしないわ」
 秋螺は感じていた。何かしらの鼓動を。
 しかし、静華がそういうのだから、勘違いかもしれない。
 今ならあの巨漢の男次郎や、冷酷で苛烈な瞳を持つルイスとも渡り合えるかもしれない。そんな無謀な自信さえ溢れてくるのだが、秋螺は根拠のないものとして切り捨てた。

「でも、このリンゴ本当にすごいわね、火傷や捻挫まですっかり治ったわ」
 静華の言葉につられて秋螺も静華の足を見た。片方だけ素肌を晒していた。
 それは傷など一つもなく、女の子の足だった。
 秋螺は傷を負った静華の姿を見ていないので何とも言えない。

「さて、私は行くわ。やらなきゃいけないことがあるの」
 きたか、と思った。
 静華の瞳は相変わらず強い意志を秘めている。
 秋螺がなんと言おうとも、傷が完治した以上、再び死地へ赴くだろう。
 いや、五体が満足でなくとも、動けるならば彼女は行くだろう。
 そんな予感さえ抱かせる強い瞳だった。
 そして、次に発せられる静華の言葉さえ秋螺にとっては苦痛なのだ。

「あなたはここにいなさい。ちゃんと迎えに来るから、ね」
 秋螺自身、その言葉は当然のこととして認識していた。
 静華の足を引っ張り、レイヴンの足さえ引っ張った。
 ここは一般人の来るところではなかったのだ。
 わかってはいるのだが、こうして面と向かって言われると大きな無力感を改めて感じざるを得ない。

「ごめん……、俺、本当に何にもできなかった……」
 苛立ちにも似た感情を押し込めて、そう言うのがやっとだった。
 急に、静華とはもう一緒にいたくないと思った。
 彼女といれば、強すぎる光に当てられて、無力な自分がむき出しになると感じたのだ。

「戦うことが全てじゃないのよ。あなたは私を助けてくれたじゃない。本当に感謝してるわ」
 そして、静華はうろから飛び出し、彼女の目指す方へと走っていった。
 秋螺はただ待つことにした。
 これ以上自分が何かしようものなら、さらにややこしく、見方を窮地に追い込むかもしれない。
 自分は無力だ。その思いを噛み締め、自分はただ座して迎えを待つしかないのだ。
 それが、見知らぬ世界に迷い込んでしまった異邦人の務めなのだ。

「ちくしょう!」
 くやしくて壁にこぶしを撃ちつけた。
 心地よい痛みが右腕を支配する。思ったほどの衝撃はなかった。
 案外壁が脆かったのかとそちらを見やるとなんと壁に穴が空いているではないか。
 何かとてつもない大きな力がその一点に加わったように、
 周りを巻き込み、歪ませながら、三十センチほどの厚い壁がぽっかりと穴を開けていた。

「……、ど、どういうことだ……」
 不意に、秋螺の中に先ほどの根拠のない自信が蘇った。
 もういちど、今度はしっかり腰を落とし、渾身の一撃を壁に放った。


 ドガァッ! バリバリバリ!


 大量の木屑が舞い、さっきよりも更に大きな穴が開いた。
 今度は更に分厚そうな壁を選んだつもりだった。脆いのではない。

「はは、ははは……、力だ……。あのリンゴが、俺に力をくれたんだ!」
 次郎にも、ルイスにも、匹敵する。その自信は根拠のないものではなかったのだ。
 秋螺も戦えるという、合図だったのだ。

「いける! これでもう、俺は邪魔者じゃない!」
 秋螺は喜びに打ち震えた。
 無力な人間が、強力な武器を手にして狂気に犯されるように。
 力の表側だけを見て、秋螺は狂喜した。

「国崎さん! レイヴン! 俺も戦えるぞ!」
 秋螺はうろを飛び出して、手近な幹に廻し蹴りをした。
 電動鋸で切ったように、斜めに切り倒れた。
 派手な音を出して、幹は下へと転がり落ちてゆく。
 秋螺は敵を探して辺りを見回した。
 樹と樹の間の暗がりまで目を凝らせば見えるようになった。だが、秋螺の求める敵はいない。

「レイヴン……」
 秋螺は上を向いて、じっと何かを探るように気を張った。
 するとどうだろう。何かが、いる。そんな感じがする。
 ここから大きく三回くらい跳んだ先に、何かと何かがいる。
 戦っている。すさまじく大きな何かだ。きっと、これが気配なのだろう。

「レイヴンと、ルイスか……」
 秋螺の口から笑みが漏れた。普段の彼の笑みではなく、狂喜の笑みだ。
 そこから更に何かを探ろうと気を張っていると、鼻腔をくすぐるものがあった。
 何かが燃える臭いだ。下のほうから来る。
 自然と秋螺の意識はそちらに向いた。ここでも何かが戦っている。
 レイヴンやルイスに匹敵するほどの大きな気配。
 そして、それに比べて遥かに小さな気配が、俊敏な動きでその大きな気配を翻弄している。
 だが、秋螺には分かった。それも時間の問題だ。
 小さな小さな気配は焦り、危なげだ。おそらく静華。
 秋螺はまず、静華と戦っている何かを相手にすることにした。
 力を得た自分ならば、戦える。そして力を静華に見せつけ、認めてもらうのだ。
 秋螺は静華の気配に向かって、跳んだ。

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