第三話


 しまったことをした。
 そう思った。
 どうしてあんなことを言ってしまったのだろう。

 あの夜の出来事を振り返れば振り返るほど、自分の失言に気がつく。
 黒尽くめの男は、両袖から伸びる一対の刃で、秋螺の見た限り二人は殺してしまったのだ。
 そのうちの一人は、腕を斬りとばされたではないか。
 マシンガンだけで撃ち合ったという供述と、絨毯に転がる不審な腕…。
 あの時の自分の動揺を思い出すと、警察に隠し事を見抜かれたか否かは言うを待たない。

 しかし…。
「でもなぁ…、本当に隠したいんだったらもっと慎重に戦うんじゃないのかなぁ…」
 妙案が思いつくはずもなく、つい愚痴になってしまう。
 それでも周りに誰もいないのを確認してから口に出す、秋螺は少々怖がりだった。

 真昼間の住宅街。
 今日は平日だが、秋螺は学校を休んだ。
 警察署へ行くために。

「あー、どうしよう。いっそのこと全部話すか…」
 一般に独り言が多い人は孤独だといわれるが、秋螺の独り言は癖のようなものだ。
 考えが煮詰まったりすると口に出して整理しようとする。
 友達との会話中や、テスト中にも気を抜くと呟いてしまい、怒られたことがある。
 そんな、誰に聞かせるともない、口からこぼれた言葉を拾う者がいた。

「それは困る。怪しまれてもいいから、ごまかしてくれ」
「げっ」
 いるはずのない人物。
 上から下まで黒尽くめの男が立っていた。

「ど、どうしてお前、あなたがここに…!」
「用事が、あるから」
 簡潔明瞭、短い回答が返ってくる。

「あ、いや、その…す、すんませんでした!」
 とりあえず秋螺は頭を下げた。

 不思議と恐怖は感じなかった。
 明るい日の光の下、閑静な住宅街と闇そのもののような外套がミスマッチだからだろうか。
 確かに、その光景は少々笑いを誘う。
 フードに隠れていない口元が横一文字に引き結ばれているのもなんだかおかしい。
 それよりも、冷徹で無感動の不思議なあの感覚、おそらく殺気を感じないのが一番の理由
 かもしれない。

「後先を考えずに動いたのはレイヴンの過ちだ。それは謝る。
 だが、君が警察の目を遠ざけていてくれれば、それだけレイヴンは動きやすい。
 頼む、もう少しの間、ごまかしてくれ」
 殺気のこもらない普通の言葉は、やはり普通の少年の言葉だった。
 同年代の友人に頼みごとをされたような気がした。

「そ、それは、まぁ。やるだけやってみるけど…。
 ところでレイヴンって?」
 秋螺の口調も、友達に対するそれと変わらなくなっていた。
「レイヴンはコードネーム。自分のことだ」
 そう言って黒尽くめの男、いや少年は自分を指した。
「君が、レイヴン…」
 なんだか禍々しいコードネームだ、と思ったのもつかの間。

 近くの民家の塀の上で、猫が鳴いたことで気がついた。
「そうだっ、それより君、そんな格好でこんなところにいて、いいのか!?」
 秋螺の心配は即座に打ち消された。
「大丈夫だ。君以外に、今見ている人間はいない」
 まるで全てを見透かしているような言葉だ。
「な、どうしてわかるんだよ」

 レイブン、と名乗った少年は何故か少し躊躇したように見えた。
 と言っても、見えるのは口元だけだが。
「レイヴンは、目が見えない。
 代わりに残りの四感と、能力を鍛えぬいた」

「え…」
 秋螺は絶句した。
 目が見えない?
 目が見えないのに、銃を持った(おそらく)玄人をナイフ二本で何人も相手にできるのか?
 それも、一つの傷も負うことなく…。
 もはや常識では考えられない。

「…能力、って?」
 おそらく、レイヴンの桁外れの戦闘力は能力と呼ばれるものに依存するのではないか。
「能力は、人それぞれだ。全人類の一割にも満たないが、能力の種類は無数にあると言われている」
「はぁ…」
 レイヴンは前置き無しに簡潔に答えようとする。
 わざとそうしているのか、レイヴンという人間がそうさせるのか。
 自称をコードネームで呼ぶのも、何か意味があるのだろうか。

「レイヴンの能力は運動神経系、雰囲気感知能力の発達だ」
「へ?それだけ?」
 てっきり、もっとSFじみた物語の主人公のようなすごい名前が飛び出してくるものと思っていた。

 運動神経系、雰囲気感知能力。
 業界用語だろうか、秋螺にはよくわからないが、運動神経が人より優れていて、
 第六感のようなものがある、と解釈すればいいのだろうか。
「おおむね間違いない」
 どうやら癖が出てしまったらしい。

「そろそろ本題に入りたい」
 まだまだ疑問はたくさんあるが、秋螺もそろそろ警察へ行かなければならない時間だ。
 それにこんなところで長々と話をしていれば、いつ誰に見つかるかわかったものではない。
 見た目や雰囲気が少年でも、忘れてはならない。
 彼は人を殺しているのだ。
 何人も。

「よ、用事って?」
 ごくりと喉を鳴らす。
 レイヴンの発する気が変わった気がした。
「どこかで種を見つけていないか?親指ほどの、少し大きめの種子だ」
「種、種…たね」
 どこかで見た覚えがある。
 ふと、絵李歌を思い出した。
「そうだ、ロケットだ」
「ふむ。この辺に宇宙開発施設はないはずだが?」
 素で言っているのか、洒落を言ったつもりかはわからないが、秋螺はレイヴンに親近感を覚えた。
「あはは、違うよ。首から提げるペンダントみたいなものさ」
「ふむ・・・。そんなものがあるのか」
 どうやら素で言ったらしい。
 そんなところを見ると、レイヴンと名乗る少年も、根はやはり普通の少年なんだと気付く。

「家にあるんだけど・・・、どうしようか。取りに戻る時間、あるかな…」
 そろそろ歩かないと遅刻してしまう。
 別に遅刻してもなにも言われないかとも思うが、警察署の雰囲気を思い出すと、どうしても時間厳守
 しなければという気になってしまう。

「わかった。夜君の家へ行く。今は警察を丸め込むのに集中してくれ」
「らじゃー!」
 向こうの角から人がやってくるのと、レイヴンが音もなく消えるのは同時だった。
 能力のなせる業だろうか、なにかアイテムでも使っているのだろうか。
 だが、不思議には思わなかった。
 常識を超えた出来事のオンパレードで、秋螺にも耐性がついたのか、もともとの性格だろうか。
「いやぁ、考えるの面倒なだけだな、うん」
 レイヴンに口封じされるのではないかという考えは杞憂に終わり、安堵した秋螺は握りこぶしを作り
 気合を入れなおした。
「よし!」
 角を曲がってきた人は、そんな秋螺には目もくれず、ぶつぶつと何か呟きながらすれ違った。





 それは、空き巣であった。
 闇金に手を出し、収拾のつかなくなった彼は近辺でしばしば盗みを働くようになった。
 途中で若い男とすれ違ったが、彼は闇金融の取立てに精神が落ち込んでいた。
 ゆえに金を集めなければという強迫観念に迫られ、気付かない。

 この辺りは昼間家に人がいないことが多い。
 ふと、笹仲という表札が目に入った。
 今日はここにしよう、と思った。

 毛糸のニット帽を深くかぶり、黒いウィンドブレーカとぼろぼろのジーパン。
 頬骨が浮き出るほど痩せこけた頬は浅黒くなり、唇も荒れ果てている。
 目はサングラスに隠れて見えないが、小さく丸めた体から、精気は少なく、それでいて
 鬼気迫るものを感じる。

 男は白昼堂々、塀を乗り越え笹仲家の庭に下りた。
 念のため辺りと家の中を窺う(うかがう)が人の気配はない。
 ウィンドブレーカのポケットからガムテープを取り出し窓に張ってゆく。
 空き巣にしては下調べもしない、いささか無用心な心構えだが、妙なところは気がつくらしく
 軍手とハンマー、それにナイフまで用意していた。
 テープを張り終えてから、一度辺りを確認しハンマーで窓を叩き割る。
 もう一度辺りを確認してから鍵を開け、中に入った。

「金…金っ!金はどこだ……」
 腹をすかしてえさを求める熊、というよりは狐か。
 一階のリビングを漁り、次は二階へ。
 ある一部屋を見つけ、中に入る。
 マンガのポスターや男性向けファッション雑誌の散らばる部屋だった。
 男の目がベッドのすぐ脇にある小さな棚に止まった。
「ガキの部屋か…、だったらこの辺にありそうだな」
 男が小さく呟く。
 そして棚の取っ手を引いた。
「?」
 だが、開かない。
 見たところ鍵穴はない。
 何か仕掛けでもあるのだろうか。
 開かない引き出し=大事なもの=たんす貯金。
 不審に思うよりも、当たりを見つけたことに奮い立った。

 金が欲しい。
 たとえ得た金は、少しの猶予と引き換えに全て失うことになるだろうけれども。
 金が見たかった。
 千円札でも、五百円玉でも、百円玉だろうと。

 取立ての圧迫よりも、金の悪魔に取り付かれて取っ手を力任せに引っ張った。
 バリッ!
 何かがはがれるような音がして、引き出しが開いた。
「なっ?」
 引き出しのふちから木片がいくつか落ちた。
 だが、金も封筒もなかった。
 その代わり、ところ狭しと樹の肌を持った植物がうねうねと動いていた。
「…なんだよ、これ…」
 あまりの唐突さに慌ててナイフを落としかけ、そのせいで指を切ってしまったことにも気付かず、
 男は呆然と呟いた。

 その植物は、盆栽にあるような小さな松の樹の肌に見た目が似ていたが、葉はついておらず
 あろうことか、まるで生き物のようにのたうっていた。
 それは引き出しの中のロケットの中から生えているようだった。
「う、うえっぷ」
 気色悪さと連日の空腹から吐き気を催した。
 視界がブラックアウトし、足元がふらつく。
 男はバランスをとれずに転倒した。
 その際、手が引き出しに当たり棚ごと派手に倒れた。
 大きな音がし、引き出しが放り出される。
 中の奇怪な植物も放り出され、男の体の上に乗る。

 その時だった。
 男は確かに聞いたのだ。
 うねうね動く気色の悪い植物が、鳴いたのだ。
「う、うあわぁっ!」
 男は慌てて立ち上がり逃げようとしたが、何かに足をとられ再び転倒した。
 見ると足に蔦が絡まっている。
 植物が、まるで意思を持つかのように男の足、腰、体と蔦を絡ませてくる。
「あ、あ…ああ…」
 あり得ない。
 今の今まで、小さな引き出しに収まるほどのサイズではなかったか?
 では、今見ているものは…?
 自分の体より大きなこの植物は、いったい…。

 瞬間、一本の太い蔦が鋭い槍のように男の胸を突いた。
「ぎゃああ!」
 喉、腹と次々に蔦が伸び男を刺し貫いた。
 男の断末魔は途中で消え、完全に植物、いや、すでに樹と呼べるほどの大きさに膨れ上がった
 それに飲み込まれてしまった。
 どきゅ、どきゅ…。
 まるで何かを吸入しているような音がする。
 男は薄れていく意識の中で、ぼんやりと思った。
 自分が血を吸われているとは生涯知ることはない。





 秋螺が警察に向かって嘘八百を並べている頃、何十件もの通報が一度に入った。
 秋螺の取調べは中断され、警察はその対応に追われた。
 曰く、家を飲み込むほどの大きな樹が、未だ成長を続けながら暴れている。
 対応した警官は即座に嘘と断定、適当にあしらった。
 だが、他の警官へも別人から同じ内容の通報電話が次々とかかってくる。

 震源地は笹仲家周辺。
 秋螺から話を聞いていた警官が戻ってきて、秋螺に告げた。
 もちろん、秋螺にも覚えはない。
 その言葉だけは信じてもらえたらしい。
 その警官も困った顔をして、一緒に見に行くかい?と聞いた。
 レイブンから聞いた、種という言葉が一瞬脳裏をよぎったが、一笑に付した。

 そして、秋螺は警察たちと共に、自宅へ戻ってきた。
 だが、秋螺の家はなかった。
 代わりに、東京タワーほどもあるかというほど大きな樹木が生えていた。
 秋螺の周囲の家も破壊され、太い根がはびこっている。
 幹は学校が一つ入るのでは、と思うほど太い。
 頂上では大量の葉を繁らせているが、風が強いのか枝が絶えずしなり、葉が大量に降ってくる。

 閑静なはずだった住宅街は葉の絨毯に覆われ。
 西に傾き始めた太陽の光は、まるで日食のように遮られ。
 低い唸りのような葉擦れの音で耳も目も鼻もおかしくなる。

 パトカーが何十台も止められ、警官や野次馬たちはその何倍も多いが、
 誰一人として状況が理解できるものはおらず、秋螺もその一人だった。
 暴風のような葉擦れの音に会話もままならない。

「人が殺された!俺の連れが持っていかれたんだ!」
「太い幹が上から降ってきやがったんだ!」
「ほんの三十分前までは、一軒家くらいの大きさだったんだぞ!」
「危ないから下がって!」

 みな大声で叫んでいるはずなのに、耳鳴りの中にかすかに幻聴を聞いているような感じだ。
「いったい、どうなってんだぁっ!!」
 秋螺の叫びも誰にも届かない。
 ウォォォォォォォォォォォォォッ!
 巨大すぎる樹木がはるか頭上で、大きな腕を揺らし唸りをあげたように見えた。

inserted by FC2 system