第二話
蛍光灯が切れかかっている。
そろそろ取り替えたほうがいいなと、秋螺は思った。
一人しかいないリビングは、明かりがついていても寒々しい。
秋螺は力なくいすに腰掛け、ぼんやりとロケットを見つめていた。
あのあと気を失った秋螺は、地元の警察署で目を覚ました。
中年の婦人警官がつきっきりで秋螺の傍にいてくれたため、取り乱すようなことはなかったが、
未だに信じられない光景を目にしたことや、警官の口からはっきりと絵李歌の死を告げられたことが、
秋螺の中では実感として湧かずに終始ぼんやりしていた気がする。
その気持ちは家に帰り着いて朝の六時になっても変わらなかった。
閉められたブラインドの隙間から暗い空の色が青く変わっていくのが見えるが、何もする気が起きない。
泥だらけのタキシードのまま、手の中のロケットを見つめ続けた。
絵李歌が自分をどう思っていたかは、よく知らない。
秋螺自身もよくわからない。
それなりに親しかったとは思うけど、恋だとか愛だとかいうような間柄ではないと思う。
秋螺がパーティーに行ったのは単なる好奇心や、異性に招かれたのが嬉しかったから、というのが理由かもしれない。
昨日のパーティーには、そういえばもう一人クラスメイトがいた。
平石佐奈、だったか。
こちらとはあまり親交はない。
絵李歌とは親友らしいが、秋螺は二言三言しか話した記憶がない。
目の大きな、子供みたいな雰囲気が印象に残っている。
「君は、今のところ、この事件を間近で目撃したたった一人の証人なんだ。少々くどいかもしれないが、色々聞かせてもらうよ」
「…はい」
「まず、君の名前を聞いておこうか」
「笹仲(ささなか)、秋螺です」
「うん、秋螺君。では、あのパーティー会場で起こった出来事を、思い出せる限りでいい。
順序だてて話してみてくれないか」
一度気を失っているため、昨日のことのように思えるがそれはつい先ほど起こった事実なのだ。
パーティーに出席するため、バイトを早めに切り上げたこと。
渋滞に巻き込まれたこと。
そのせいで、もともと多少遅刻はすると伝えてあったが、大幅に遅刻してしまったこと。
さらには途中でバイクがエンストし、それを捨てて走って獅子堂邸まで行ったこと。
家が近くなってくると、何やら騒がしかったが、急に静かになったこと。
「ゲームでもしてるのかと思いましたが、ガラスの割れる音や、悲鳴が聞こえたような気がします」
「ふむふむ」
対座する警官は秋螺の目をひたと見つめながら相槌を打つ。
秋螺はかすかに居心地の悪さを覚えた。
だからその視線から逃れるように、鼻を見ながら話を続けた。
「近くまで行くと、窓ガラスが割れていました。中をのぞいてみるとたくさんの人が死んでいました」
警官の眉間にしわがよったような気がした。
「わけがわからずあたふたしてると、もろくなっていた窓が割れました。
そして階段の上や、林の中から黒い服とサングラスの男たちがたくさん出てきました」
警官が続けて、と先を促す。
質問は最後にするらしい。
「そして、捕まって、パーティー会場まで連れて行かれました。周りにたくさんの死体があって…」
昨日のことのような感じだった。
しかし、ついさっき、数時間前に起こった出来事なのだ。
秋螺の鼓動が速くなった。
手が、唇が震えだす。
「じゅ、銃を向けられ、て、な、なかまは、いるかと…」
目じりが熱くなった。
そっと肩にぬくもりを感じて振り向くと、婦人警官が優しく背をさすってくれた。
秋螺は目元をぬぐって深呼吸した。
「銃を向けられて、仲間はいるのか、と聞かれました」
ふと、あの時自分が言った言葉を思い出す。
今度は顔が熱くなった。
「僕は、いません。と答えました」
それから、どうなった?
「それから、どうなったかい?」
記憶が曖昧だ。ただ恐ろしかったのは覚えている。
「それから…、黒服たちとは少し雰囲気の違うボスみたいのが階上から降りてきました」
そう、オールバックの小柄な中年だ。
「目がぎらぎらしてて…それで…、そう何かが爆発しました」
「…ふむ」
目の前に座る警官の目もぎらぎらしている。
「そっちを見ると、また変な……」
秋螺の心臓がとくんと跳ねた。
―――今夜の惨状は警察に話してもいい。だが、俺のことだけは言うな、わかったな?
「…変な?なんだね?」
警官の目が鋭みを増した気がした。
秋螺は、つい目をそらしてしまった。
「…変な感じがしたんですよ、変な音というか…臭いというか」
「………それで?」
喉の渇きを覚える。
肩に置かれた婦人警官の手も、急に温かみを感じなくなる。
「すいません。なんか記憶が、曖昧で…」
「ふむ…、休憩するかね?」
「は、はい…。すいません」
「いいんだよ。大変な一日だったからね。我々も、君に無理をさせていることは重々承知している。
だが、事件解明のためには君の協力がどうしても必要なんだ」
「はい、わかってます」
しまったことをした。
秋螺はロビーの腰掛で一人、苦すぎるコーヒーを飲みながら後悔していた。
突然現れた第三者は、無感動に人を殺めていた。
もしかしたら、自分も殺されるのではないか。
秘密をばらしてしまったらあの化け物に、自分も人形のように事も無げに…。
コーヒーを喉に流し込んだ。
いや、あれこそ夢ではないか?
大量の死体、荒れ果てた屋敷、謎の黒服たち、絵李歌の死。
一夜のうちに多くのことが起こりすぎて、あらぬ夢でも見たのではないか?
では、なぜ自分はここにいる…?
「そろそろ、続きを始めますよ」
先ほどの婦人警官が呼びに来た。
「あ、はい」
秋螺の中で恐怖が勝った。
すなわち、あの黒尽くめの化け物は隠し通す。
「さて、どこまで話してもらったかな?」
席に着くと、警官は優しく話しかけてきた。
さっきの鋭い目つきが嘘のようだ。
「えっと、ボスみたいな人が出てきたところです。
休憩をもらって、心の整理がつきました。
音とか臭いとかは僕の勘違いでした。すいません」
警官は無言で頷いただけだった。
「それで、爆発のあと、黒服やボスみたいのが、急に言い争いを始めまして」
「ほう…それで?」
「それで、何を言っているかはよくわからなかったんですが、良くない雰囲気になってきて、ついに撃ち合いを始めて…」
「ふうむ…、それでああなったのか…」
「…はい。気がついたらここにいました」
警官は大きく頷くと、質問を始めた。
「彼らはマシンガンで撃ちあったのかね?」
「はい、そうです」
「爆発…か。何か気付いたことはあるかい?」
「…いえ、ただ…」
「ただ?」
「彼らは何かを探していたようです。僕の周りにはそのボスらしき人と、黒服一人しかいなくて、
あとはみんな二階へ行ったり、外に出ていたりして…」
「何かを探している…か。心当たりは?」
「うーん…。ないです」
「そうか…。大変な目にあったね」
「はい…。殺されかけました」
「うん、危なかったね、だが、もう大丈夫だ。やつらはみんな死んだよ」
秋螺はどう答えていいかわからない。
「…はい」
と言うしかない。
「だが、それでも心配なら、当分の間、警護をつけてもいい。どうだね?」
殺しに来るとしたら、あの化け物だろう。
普通の警官に、あの黒尽くめの男の相手がつとまるはずがない。
それに、しばらく一人になりたかった。
秋螺は疲れていた。
「いえ、大丈夫です」
「そうか。
では、今日はこれくらいにしておこう。もう夜も遅いし、君も疲れただろう。
眠れないかもしれないが、体を休めてくれたまえ」
「は、はい」
「また明日、ここに来てくれるかな?昼の一時ごろ」
「はい、わかりました」
緊張が解けた。
秋螺は肩が凝っていることに、今更ながらに気がついた。
「そうそう、これ」
と言って警官はビニル袋に入ったロケットを取り出した。
「君が気を失っているとき握っていたものだよ」
「ああ、それは、エリカの…」
「これは君が持っていなさい」
「え?いいんですか?」
「ああ。ふたは開かないし、どうやら事件には関係なさそうだ。
血がついているが、それも含めて持っていなさい」
「…はい。形見として大事に持っておきます。では」
席を立とうとすると、唐突に。
「最後にもう一度聞かせてくれ。
彼らはマシンガンだけで撃ちあったんだね?」
「はい、そうです」
「ありがとう。では、また明日」
大きな爆発音がして、皆そちらを見た。
そこには黒尽くめの男が立っていた。
だが、目を引いたのは両袖から伸びる一対の刃。
刃渡り二十センチほどの両刃のナイフが、血に塗れて光っていた。
「お、お前がやったのかっ?」
気圧されたボスらしき男の声。
「このっ、ガキがぁっ!」
黒服がナイフを振り上げる。
黒尽くめの男はただただ無感動に、迫るナイフを…。
「……っ?」
言い逃れは、もうできない。