NEW RAVEN 〜盲目の黒鳥〜

第一話


 月が白く輝いていた。
 潮の香りを含んだ風が国道を走る一台のバイクをなでてゆく。
 道を走っているのは、この一台だけだった。
 海岸沿いの寂しげな街灯が、爆音に揺られてまたたいた。
 バイクの主は車体を内腿でしっかりと固定するとカーブを曲がった。
 急なカーブにもかまわず、スピードを出したため後輪が滑って軽快な音を出す。
 道にタイヤの跡をつけ、何事もなかったかのようにさらにスピードを上げる。
「まずいな、間に合うかな」
 バイクの主が呟いたが、爆音にかき消され海まで届くことはなかった。



 海沿いの高い丘の頂上に豪奢な家が建っている。
 そこではパーティーが開かれてい、煌くドレスに身を飾った客で溢れていた。

「秋螺(あきら)、遅いなぁ」
 獅子堂絵李歌(ししどうえりか)は時計を見上げてため息をついた。
「こらっ、エリカ!主役がそんな憂鬱な顔して、ロマンチックな気分に浸らないの」
「え?あ、佐奈ちゃん、ごめんね」
 平石佐奈(ひらいしさな)は絵李歌の通う暁聖学院のクラスメイトだ。
 大きな瞳が可愛らしく、女の絵李歌でも思わずぎゅっとしたくなるような愛らしさがある。
 そんな彼女が、今日はピンク色のふわふわなドレスを着ているのでまるでお人形のようだ。

「もう、すぐそうやって自分の中に閉じこもるんだからぁ!エリカ!私を見てっ!
 さ、何か食べよう?」
「う、うん」

 絵李歌も今日は頑張って化粧をして、秘蔵のドレスを選んだのだが、まだ一番見てもらいたい人が到着していないのだった。
「あわかったっ」
 佐奈が急に素っ頓狂な声を上げる。
 近くにいた人が何事かとこちらを振り返るが佐奈は小さく会釈してやり過ごした。

「ねね、エリカ、もしかしてアキラ君のこと待ってる?」
「えっ?」
 いきなり秋螺の名を出されて絵李歌は目に見えてわかるくらい狼狽した。

「ははぁん、やっぱり。エリカ、アキラ君のこと好きだもんね」
「な、ちょ、違うよ、やめてよ佐奈ちゃん」
「えへへへー、またまたぁ。照れちゃって」
 佐奈はにたりと笑って、絵李歌をつついてくる。
 絵李歌は耳まで真っ赤になって抗議していた。
 長い髪を纏め上げ、耳にバラのピアス。
 それにあわせた赤いドレスが、絵李歌のバランスのとれた体を際立たせていて、佐奈は正直うらやましいと思った。

「あぁあ、あたしももうちょっと背が高くて胸が大きくて腰がきゅっとくびれてて・・・」
「ん?佐奈ちゃんなんか言った?」
「んにゃー、なんにも、そだ、食べ物とってくるね。エリカは何がいい?」
「んと、そうだなぁ、オレンジジュース」
「はぃはぃ、肉とか食べないのか、あんたわ!」
「ごめんね、ちょっと食欲がなくて」
 急に文句を言い始めた友達が人ごみの中に消えるのを待ってから、絵李歌は再び時計を見上げた。

 九時三十分。
 後三十分でパーティーは終わりを告げる。





 九時三十分。
 後三十分でパーティーは終わりを告げる。
 急がなくては。
 秋螺は焦り始めていた。
 目的の家は目に見える位置まで来ていたのだが、バイクがエンストしてしまったのだ。
 秋螺は熱くなったエンジンを見下ろしてため息をついた。

 見上げれば獅子堂家の別荘がある。
 あるにはあるが、そこに行くまでにはこの道路を丘の外周に沿って螺旋状に駆け上っていかなくてはならない。
 直線の距離で図ればバイクをとばせばすぐに着くだろう。
 だが、道に沿っていくとなるともう絶望的な時間だ。
 しょうがない、帰るか、とも思ったがエンジンが動かない今、家に帰るのだって一時間や二時間ではすまない。

「ああー、八方塞り!」
 秋螺は誰も通らない道路に仰向けになって倒れた。
 波の音が聞こえる。

「エリカはいいなぁ、親父さんがこんないいところに別荘持ってて。
 俺のうちなんか寂れたベッドタウンにひっそりと佇む賃貸アパートだぜ…。
 あ、泣けてきた」

 秋螺は絵李歌や佐奈と同じ高校に通う同級生だが、彼女らのような富裕層が通う学校にしては珍しい、
 ぶっちゃけて言えば平民出の人間だった。
 波の音に揺られ、心地よい潮風を満喫していると、
「おや、腹の虫がなったぞ…。うん、腹減ったなぁ」
 秋螺は足をまげてその反動で飛び起きると
「ここでぼぉーっとしててもおなかは満たせない!
 行くぞっ、俺!」
 と言って駆け出した。

「あのでっかい屋敷を目指して山の中を突っ切るぞ」
 ガードレールを飛び越え林の中に入る。
 繁る木々の隙間から漏れる屋敷の光を目印に秋螺は靴が汚れるのもかまわず走った。





「ねね、エリカ、このぷちぷちしたやつ、何?」
 ぼうっとしている絵李歌を見てあきれた様子の佐奈だったが、ふと珍しいものを見つけて絵李歌をつついた。
「あー、これはキャビアだよ」
「ええっ?これがキャビアっ?もっとにくにくしてるのかと思った!」
「え?佐奈ちゃん、キャビア食べたことないの?」
「だぁってー、うちのお父さんおうちやインテリアにはお金使うくせに食べ物にはホント無頓着なんだから!」
「そ、そうなんだ…」
「まぁ、おかげでかわいい服とかいっぱい買ってもらえるからいいんだけど」
「へぇー」
「でも、北京ダック食べたいとかマツタケ食べたいよぅ、なんて言おうものなら、
 腹に入ればみんな同じだろ、そもそもマツタケなんぞという珍味はどこがうまいのかさっぱりわからん!てさ」
「確かに、マツタケは臭くて私も嫌だな」
「ええーっ!エリカまでそんなこと言うの!もー絶交だよ!」
「ああ、そんな。ごめん佐奈ちゃん」
「えへー、うそだぴょん」

 そんな風に絵李歌と佐奈がじゃれあっている時だった。
 大ホールの中央に飾られている振り子式の豪奢な古時計が荘厳な音で時間を告げた。
「いい音ですな」
「本当、歴史の重みを感じますわ」
 などと、絵李歌の誕生日を祝いにやってきた賓客たちが感想を漏らす。

 ふと見上げると絵李歌の父、麻季雄が立っていた。
「お父様…」
 絵李歌がスカートを摘み、優雅に挨拶をした。佐奈も一緒に礼をする。
「絵李歌、今夜のパーティーはどうだったかね」
「ええ、お父様。とても楽しませていただきましたわ」
 絵李歌が微笑んで辞令を言う。

「お父様ったら、開始そうそう部屋に引きこもってお客さんと商談をしていたくせに」
 などとは口が裂けてもいえない。
 秋螺がとうとう来なかったことに少々怒りを覚えていることに彼女自身は気づいてはいないが、
 自分の誕生日をダシに客を呼んで取引をしようなどとしているのだから素直に喜べなかったのは事実だ。

「そうか、それは良かった。絵李歌、誕生日おめでとう。
 隣の君も今日は素敵だよ、これからも絵李歌をよろしく頼む」
 そういって、麻季雄が手を差し出す。佐奈もその手を握って優雅に
「はい。こちらこそ、今日のパーティーにお招きいただき光栄に思っておりますわ」
 微笑んだ。
 麻季雄はその後玄関へ行き、帰る客の相手をした。

「エリカ、今日はホント楽しかったよ」
「うん、私も。パーティーじゃなくてもいいから、私の家にも遊びに来てね」
「まっかせといてー!じゃんじゃん遊びに行くよ!」
 絵李歌は手を振って友人を見送った。
 佐奈は絵李歌に手を振りながら玄関へと駆けて行き、
 ちょうど扉を通すまいと立ちはだかるように足を止めた客に見事に頭をぶつけてしまう。
「あいた!」
「ちょ、ちょっと大丈夫?佐奈ちゃん」
「いてて。うん、大丈夫、どうしたのかな?」
 佐奈がぶつかった男性を見上げると、
 男の体がぐらりと傾き、人形のように地に突っ伏し五段ほどの階段を転げ落ちた。
 女性客たちから悲鳴が上がる。

「え?え?え?」
 佐奈も絵李歌もわけがわからずうろたえる。
 玄関口にはこちらを向いてもう一人の男が立っていた。
 黒の三つ揃いにサングラス。服の上からでもわかる分厚い胸板。

「うう…」
 倒れた男が呻きをあげ寝返った。
 再び悲鳴が上がる。
 倒れた男の胸には肉厚のナイフが深々と刺さっており、草むらには赤黒い血の池ができていた。
 思い出したかのように鉄錆びた生臭いにおいが広がり何人かが倒れる音がする。
 絵李歌も佐奈も悲鳴を忘れ、その臭いに口をふさぐ。

「獅子堂麻季雄(ししどうまきお)さん、私を覚えていますかな?」
 玄関口で微動だにしなかったサングラスの男が脇に退き、後ろから五十がらみの小柄な男が進み出た。
 白髪交じりの髪をオールバックにし、片眼鏡をかけた紳士風だが、吊り上った目は鋭い眼光を発していた。

「うっ」
 麻季雄が低く唸ってあとじさった。
「お、お父様、この方たちは…」

 麻季雄と初老の男の視線が同時に絵李歌へ向いた。
 ほんの一瞬のことだったが。
 絵李歌はその男の口元が吐け気を催すほど醜く歪んだのをはっきりと見た。
 絵李歌の意識が薄れていく。
 男が玄関から離れると、外には大勢の黒服が何か黒いものを構えていた。

「やれ」「絵李歌っ!」

 血の気の引いた麻季雄の顔が、絵李歌の前に立ちふさがる。
 黒服達の持つマシンガンが細かく震える。
 銃口から飛び出す銃弾。
 一、二、三、四、五、六…。
 絵李歌の目がはっきりと捕らえた。
 しかし、体は微動だにしない。

 見たくないものまではっきりと、克明に、瞳の中に写してしまった…。
 激しい動悸と込み上げる嘔吐感。
 次の瞬間には、絵李歌を押し倒すように庇った麻季雄の下敷きになり、絵李歌の意識もそこでぷつりと途切れた。





 秋螺は汗まみれで立っていた。
 林はよく手入れされていて迷うことなく一直線に獅子堂家を目指せたが、
 もともと人が通る場所ではないので秋螺の一帳羅はところどころ葉に擦れ、靴は泥だらけだ。
 しかし、秋螺にはそんなことを気にかけている場合ではなかった。

「なんか…変だな」
 さっきまでなにやら騒がしかったが、急に静かになった。
 ゲームでもやっているのかと思っていたが、マシンガンに似た破裂音、窓から漏れる光の瞬き具合。
 そしてなによりパーティーどころではない、触れれば切れるような緊迫感が感じられた。

「何かあったのかっ?」
 嫌な予感がして、林を飛び出し一直線に屋敷へ駆け寄る。
 無論、防犯機器は各所に取り付けられていたが、それが今は全て作動していないことを秋螺が知る由もない。

 屋敷の裏側に辿り着き、窓から覗き込んで秋螺は絶句した。
 人が倒れていた。大勢の人が、ぐったりと床に横たわっている。
 血の臭いがした。

「おいおい…、いったい…何が…」
 中の状況はひどいものだった。シャンデリアが床に落ちて何人かが下敷きになっている。
 倒れた人たちをよく見ると、着ていたタキシードやドレスが真っ赤なぼろくずのようになっていて、周囲の壁は穴だらけだ。
 秋螺の掴む窓枠に恐怖と混乱から力が入った。
 すると、弾を何発か浴びてヒビのはいっていたガラスが音を立てて崩れた。
「誰だ!」
 まずい、と思った。だが、一般の高校生に為すすべはなかった。
 すぐに階上やまわりから怪しい黒服たちが出てきて、あっという間に秋螺は拘束されてしまった。

「う…」
 血の臭いが酷い。秋螺が座らされているのは、パーティー会場の跡だった。
 周りに無数の死体が転がり絨毯は湿っていた。
 黒服が二人、秋螺を監視しているが、他はまたどこかへと散っていった。

「おい、仲間は?」
 黒服の一人が、おそらく本物のマシンガンで秋螺を小突いた。
「な、仲間?なんのことだ…ですか…?」
「仲間はいるのか、と聞いているんだ」
 銃口が秋螺の額を向いた。
「い、いません。本当です、信じてください。助けてください。お願いします」

 黒服は隣となにやら話していて、秋螺の言葉を聞いているようには見えなかった。
「お願いします。見逃して下さい。あなたたちのことは誰にも言いませんから」
 今度は携帯電話でやり取りをしていた黒服がそれを折りたたんで懐にしまうと、おもむろに銃を構えた。
(撃たれる…)
 大した抗いもできずに拘束され、殺される。
 情けないと思うよりも、恐ろしかった。

「その成りじゃ、さしずめ今夜のパーティーに呼ばれていたが遅刻したんだろう。
 残念だったな、人生最期のパーティーに出席できなくて」
 黒服がにやりとした。
 その瞬間に思い出した。
(そうだ、今日はエリカの誕生日パーティーだったんだ!)
「エリカはっ?エリカはどうなった…」
 口をついて出たのはそんな言葉だった。
「死んだよ」
 銃を持った黒服がそっけなく言い、引き金に指をかけた。

 突如屋敷の外で爆音がとどろいた。
「ちっ、今度はなんだ!」
 舌打ちして黒服が銃をおろした。
 相方のほうに秋螺を見張らせ、銃を持っているほうが窓に駆け寄り辺りをうかがった。

「何があった」
 階上からオールバックの小柄な男が下りてきた。身なりや雰囲気から察するに、この集団のボスではないだろうか。
「どうやら客の車が爆発したようです」
「調べろ。爆薬なんか仕掛けてないし、そっちに向かって撃った覚えもないぞ」
「はい!」
 銃を持った黒服が慌てて外へ出て行った。
 そこで初めて秋螺は安堵した。

「なんだこのガキは」
「はっ、捜索中に発見しました。どうやら今夜のパーティー出席者の一人かと」
「こいつだけか?」
「いませんっ、僕一人ですっ、今日見たことは絶対に誰にも言いません。
 金を払えと言うなら幾らでも払います、だから。どうか命だけはっ」
 秋螺はボスらしき男に向かって叫んだ。

 命が惜しかった。絵李歌の安否を気遣ったのは一瞬だけで、今は死にたくない思いでいっぱいだった。
 オールバックの男がさもおかしそうに哂った。
「小僧、私はお前のような往生際の悪い男が死ぬほど嫌いなのだ」
 秋螺の血の気が引き、再度戦慄した。

 男の目に促され、見張りを任された黒服が、懐からごついナイフを取り出した時、辺りが騒然となった。
 屋敷の外からくぐもった悲鳴が次々と聞こえてくる。

「何があったか知らないが、面倒なことをしてくれたものだな」
オールバックの男とナイフを取り出した男、そして秋螺もが壊れた玄関を振り向いた。
 秋螺はのちにここで逃げ出しておくべきだったと後悔したが、腰が抜けていて結局逃げられなかったのだと思い出した。

 蝶番が片方壊れて今にも倒れそうな扉の前に立っていたのは、黒尽くめの男だった。
 フード付の黒い外套を頭からかぶり、首元にはベルトを締めて簡単にフードが脱げないようにしてある。
 大き目の外套のせいで顔や肉付きはわからないが背の高さや声からして若い男、
 それも秋螺とそう変わらないのではないかと推測できた。
 だが、三人の目を引いたのはそれよりも両袖の中から伸びる一対の刃であった。
 刃渡り二十センチほどのナイフが赤い血に染まって滴っていた。

「む…」
 オールバックの男が怯んだように壊れた窓のほうを向いた。
 数体の死体が燃える車の明かりに照らされてゆらゆら揺れていた。
「え…、あ、あ…?」
 秋螺は困惑していた。また変なのが現れた。そう思った。神様助けてください。そう祈った。

「貴様いったい何者だ。外の連中はお前がやったのか…?」
「そうだ」
 黒尽くめの男が淡々と答えた。
「馬鹿なっ、あいつらは全員銃を持っていたのだぞ!そんなナイフであっさり殺れるはずがないだろうっ!」
 突然現れた黒い男は構えるでもなくただそこに立っているだけなのに、
 オールバックの男は蛇に睨まれた蛙のように肌が粟立った。

「あ、集まれっ!変なやつが現れた!殺せ!」
 オールバックの男は半ば狂ったように叫び、銃を抜いた。
 銃声が轟いて、秋螺の鼓膜を打った。

「うわっ」
 耳の痛みに一瞬顔をしかめたが、怖いもの見たさに目を開いた。
 ごとっと音がした。見ると、名前も種類もわからない拳銃が、絨毯の上に落ちていた。
 ふと、上を見上げて秋螺は絶句した。
 いつの間にか黒尽くめの男がすぐそばに立っていて、オールバックの男の喉を、袖から伸びるナイフで貫いていたのだ。
「う、嘘だろ…、弾をよけるなんて」
 たまたま外れたのかもしれないし、そもそも秋螺はその瞬間を見ていたわけでもないが、
 彼にはそうとしか思えなかった。

「この、ガキがぁっ」
 黒服がナイフを振り上げて、黒い男に斬りかかった。
 だが、その男は右側のナイフで男の右腕を斬り飛ばし、左側のナイフで男の胸を刺した。
 短い悲鳴を上げて、黒服は絶命した。

 そこには何の感情もなかった。ただ淡々と、まるで機械のような正確さで事も無げに男を屠った。
 殺気も恐怖も感じさせない、罪悪感や快楽を感じている様子もない。
 今この瞬間を切り取るならば、黒尽くめの男は秋螺の命の恩人のように写るだろうが、
 秋螺の中ではそんな思いは微塵もなく、ただただ恐怖と困惑が鎖のように絡んでいた。

 どたどたと階上からあわただしい音が響く。
 上にいた黒服たちが下りて来たのだ。
 赤黒い血を撒き散らして伏すオールバックの男を見て色めき立つ。
「ボス!」
「て、てめぇがやったのか!」
「死ねっ!」

 怒号が飛び交い、黒服たちが一斉にマシンガンを構える。
 相手は八人ほど。全員が銃を構えている。
 今度こそ終わりだと思った。

 ダダダダダダダダダダッ、ダダダダダッ、ダダダダッ!

 掃射は短かった。黒尽くめの男は、秋螺の傍から一歩も動いていない。
 黒服たちが階段を転がり落ちる。
 秋螺は今見た光景が信じられなかった。
 マシンガンの放つ音に合わせて、黒尽くめの男の周りを銀色の光が舞ったように見えたのだ。
 まさか…、それはまさか、
「跳ね返し…たのか……」
 秋螺は化け物じみた男から眼が離せなかった。
 その男が秋螺を見た。フードに隠れて表情が読めない。

(殺されるっ!)
 秋螺は失禁しているのにも気付かず、抜けた腰で何とか逃げようとした。
 だが、それは失敗し、尻で滑って後ずさりする結果に終わった。
 ふと、男が視線をそらした。
 秋螺も遅れて、パトカーのサイレンの音だと気がついた。
 男が舌打ちする。そして秋螺に言った。

「今夜の惨状は警察に話してもいい。だが、俺のことだけは言うな、わかったな?」
 秋螺は目に涙を浮かべて何度も頷いた。
 やっと助けが来たことを知って、気が緩んだのだ。

 男はすでに跡形もなく消え去っていた。
 ふと、足元に何かが落ちているのに気付いた。
 秋螺はそれを這うようにして拾い上げた。
 写真などを入れ首から提げる血塗れのロケット。
 震える手でねとつくふたを開くと、絵李歌に面影のよく似た妙齢の女性と、一粒の種子が入っていた。
「エ…エリカ……」
 秋螺はふたを閉め、ロケットを握り締めると、ぐらりと倒れ、気を失った。
 それは絵李歌の亡き母親をロケットに納めた麻季雄の、娘へのプレゼントだったが、秋螺には知る由もない。
 サイレンの音が近づいていた。

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